日記兼ポエム(2026/07/21)

ギロチンを調べようと思ったきっかけ

最近、なぜかギロチンの歴史を調べて、とても面白かったので書き残したい。

そもそもなんでギロチンの話をしようと思った?というと、ティアムーン帝国物語というアニメを見たからだ。(厳密には見て無くて1話目で断念した。) 確か、主人公がギロチンで処刑されそうになるところから始まるのだが、その時点でなんとなく「この展開ってよく見るけど、どれくらいリアルなんだろう?」と思ってしまったのだ。 そこからアニメを見るのをやめてGeminiのDeep Researchでギロチンについて調べてもらった。

ティアムーン帝国物語でも表現されているように、ギロチンというのは残忍な処刑の象徴というイメージがあるし、自分も実際そのように思っていた。 調べたところによると、そのイメージは半分はあっているが、半分は全く異なる背景があるということが分かった。

アンシャン・レジーム:身分によって死に方まで違った時代

ギロチンを語るためには、そもそもそれより前にはどういう処刑がされていたのかを語らなければならない。 ギロチンはフランスで生まれたのだが、それまでのフランスはいわゆる階級社会というやつで、聖職者が一番偉くて、その次が貴族、最後が平民という社会構造だった。 この内平民は全人口の9割を占めていて、その平民にだけ重い税金を課されているという状況になっていた。 つまり、超不平等社会だったわけである。

そして、この超不平等は生きているときだけでなく、処刑される時にも適用された。 まず、貴族など上流階級に対する一般的な処刑方法は斬首だった。 まあ、これも執行人が未熟だったりすると何度も首に得物を叩きつけられるという恐ろしすぎる状態だったらしいが、それでもまだ肉体への損傷の少ない名誉ある死だったらしい。 一方の平民に対する処刑は苛烈すぎるものだった。 一番一般的だったのは絞首刑だが、こいつは現代日本の死刑でやられているような首の骨を折って脳死状態にさせるやつではなく、本当に首を絞めて窒息させるというものだ。 当然、すぐに死ぬわけがないから数分から数十分苦痛が続くという凄惨な状況になる。 あるいは異端者は火刑に処されたし、国家反逆などさらに重い罪に問われた場合には八つ裂きの刑ということで馬に四肢を引かせて引きちぎるということが行われていた。 しかも、これが公開処刑として行われていたというのだから本当に恐ろしい。

今から考えると野蛮すぎるこれらの所業だが、当時はそれなりの合理性を持ってこれらのことが行われていたらしい。 1つには、肉体に対する王の怒りを視覚的に表現することで王の権威を示すということが目的とされていた。 逆らったらヤバすぎるから犯罪しないでおこうという、恐怖政治であり、いわゆる見せしめだ。 そしてもう一つが人々の娯楽としての側面である。 信じられないことだが、当時の公開処刑場の近くでは屋台が出店されていたり、いい席がチケット販売されたりしていたらしい。 まあ、古代ローマでもコロッセオで同じようなことがされていたわけだから、その時代が特別なのではなく、人間の普遍的な性質なのだろうとは思う。

なんにしろ、こういった形で西暦で言うと大体16~18世紀くらいのフランスでは人の生き方も死に方も平等じゃない時代が続いていた。 このころのフランスの政治体制をアンシャン・レジームという。 アンシャンは英語のAncientと同じ単語で「古い」という意味、レジームは戦後レジームとかって言葉でよく聞くが、日本語だと「体制」なんて言葉に訳される。 なので、アンシャン・レジームは「古い体制」という意味だ。 じゃあ、新しい体制はなにかというと、いわゆる「法のもとの平等」というやつだ。

啓蒙思想とベッカリーア、ギヨタンの人道的な想い

この考え方の土台になったのが啓蒙思想で、17世紀半ばのホッブズやロックが唱えた社会契約説あたりから始まっている。 人間は生まれながらに平等な権利を持っていて、国家はその人々の合意によって成り立っている、という考え方だ。 この流れが18世紀に入るとモンテスキューやルソーに受け継がれ、理性のもとで人間は皆平等だという主張がだんだん形になっていった。

こういう風潮の中で、チェーザレ・ベッカリーアという法学者が「犯罪と刑罰」という本を書いた。 この本の主張は、要するに刑罰っていうのは見せしめのためじゃなくて犯罪の再発防止とか抑制のためにやられるべきだろうというものだった。 モンテスキューやルソーの思想に強く影響を受けて書かれたこの本は、出版後にヴォルテールが熱心に擁護・喧伝したこともあって広く読まれるようになり、法のもとの平等という概念を後押ししていくことになる。

そして、もう一人重要な人物がジョゼフ=イニャス・ギヨタンだ。 彼は医者で、死刑そのものにそもそも反対していた。 そんな彼が、死刑を廃止するのが無理なのであれば、せめて苦痛の少ない方法で処刑したほうがいいだろうという主張をし、これが後に彼の名前を受け継ぐ「ギロチン」という機械として結実するきっかけとなった。

ギロチン誕生、そして恐怖政治の象徴へ

その後、フランス革命後に法の下の平等が実践されていく中で、国民議会によってどんな罪でも基本的に刑罰は全て斬首で行うという決定がなされた。 こうなったら当然、今までは軽く済んでた罪も全部斬首になるわけだから死刑にかけられる犯罪者の数が急増した。 しかし、前にも述べたように、そもそも斬首は執行人の熟練が必要な職人技術で、1日に何人も執行できるようなものではなかった。 なので、機械化による効率性の向上が必要になり、これがギロチンを本格的に作成・導入していこうという契機となった。 ギロチンは名前こそ前に述べたギヨタン医師から取られているが、実際に機械として作ったのはアントワーヌ・ルイという解剖医だ。 彼が発明した最大のブレークスルーがギロチン特有の斜め刃で、これが採用されたことで完璧な首の切断が可能となった。

こうして、人道的な処刑を望む想いの集大成として作られたギロチンだが、後世の私たちからするとあまりいい印象はない。 それは、その後のロベスピエールによる恐怖政治のための主要な道具とされたことが大きい。 ロベスピエールは1793年にフランス革命後に混乱する国家を安定させるためにプレリアル22日法という法律を作った。 こいつが恐ろしい法律で、証拠が無くても裁判官が犯罪者と思ったら全部有罪にできるという、いわゆる疑わしきは罰せよの極地のようなものだった。 その上、前に述べたようにこのころのフランスはどんな罪でも即死刑がまかり通っていた。 これに加えてギロチンが登場したもんだから、滅茶苦茶な勢いで死刑が執行されてしまった。 話によるとわずか1ヶ月ちょいで1300人がギロチンにかけられたらしい。 こんなことがあったために、ギロチンは恐怖政治の象徴としての印象を後世の人々に残す存在になってしまった。

その後、ギロチン自体は1977年までフランスの正式な死刑執行装置として使われ続けたが、この頃にはギロチンすら残虐な処刑道具であるという認識が広まっていた。 1981年にはフランスで死刑自体が廃止され、ギロチンはその役割を終えることとなった。

まとめ

と、いうのが、ギロチンのざっとした歴史だ。 これを知るだけでもフランス近現代の思想や政治的な流れがかなりしっかり概観できる。 しかも、この時代というのは冒頭で述べたティアムーン帝国物語もそうだがベルサイユのバラなども含めいろいろな物語の背景になっていたりもする。 こういう知識を持っておくと、今後物語をより一層楽しめるようになりそうだなと思うので、こういった1つの物にフォーカスした歴史の勉強は今後もやってみたいなという気持ちを持ちつつ、床につく私なのであった。